...with max respect for maestro Jens Johansson.
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■STRATOVARIUS is no more


Stratovariusの中心人物、Timo Tolkkiは以下のような声明を発表した。

そろそろ沈黙を破ってファンの間で噂になっていることを明らかにしようと思う。Stratovariusはもう存在しない。

昨年の10月にこのバンドを止めることとその理由ををメンバーに話した。この文書は何年もの間バンドを応援してきてくれた君達、Stratovariusのファンのために書かれている。

基本的に要点だけを述べたごくありふれたビジネスライクな声明にするつもりだった。しかしその後、君達が今後僕の決断をより深く理解できるように、舞台裏で起こっていた事実のうち少なくともその一部を知る権利があるんじゃないかと考えるに至った。

Timo KotipeltoとJorgがバンドに加わってからは、常に緊張感とネガティブな空気が漂っていた。これは僕とTimo KotipeltoそしてJorgの3人に集中していたんだ。

何年か前にJari Kainulainenがクビになった理由はあまりにも馬鹿げていて、ここでそれを説明する気すら起きない。もし何時か本でも書くことになったら、そこで触れるかも知れないけどね。

とにかく、その当時、つまり12年くらい前に既にその種は蒔かれていたんだと思う。何度も衝突があったよ。Jorgは僕にずっとKotipeltoのことで不満を言って来たし、逆にKotipeltoはJorgのことで不満を言って来たりとね。すったもんだになることが度々だった。もちろんそういう揉め事はファンの目に晒されることはなかったんだけどね。

Timo KotipeltoとJorgをここで侮辱するつもりはない。二人とも基本的には僕の良い仲間だからね。事件というのは起こるものだし、人間関係も好ましくない方向に進むことがあるものだ。これは離婚のようなもので、誰も望んでいないのだけど、時としてみんなが自分の人生を進んでいくためにはベストな場合がある。さらに、舞台裏での事件とその様子を明らかにしたいと思う。君達ファンいつもは良い面だけを目にし、真実を知ることはあまりない。

僕達は素晴らしい経験と、14枚のアルバム、総計1000回のショウを行った6回のワールドツアー、ゴールドディスク3枚フィンランドグラミー賞を手に入れ、300万枚のCDセールスを記録した。

1年をかけて慎重に熟慮した結果このような結論に到達したが、僕にとってこれは正しい選択だと考えている。Stratovariusにいるときは本当に気分が良くなかった。あのバンドでは何かが酷く間違っているのに、誰もそれを気に留める様子も無かった。

終末のカウントダウンは2005年の最後のアルバム”Stratovarius”のときに遂に始まってしまった。当時バンドの雰囲気は極端に異常なものだった。2004年の4月に入院を余儀なくされ、その年のほとんどを参ってしまった精神を回復させるのに費やした。状況が変わりはじめたのはこのときだ。2004年の間は、Jensが電話を何度もかけてきて強く僕を支えてくれた。僕達はその後Stratovariusアルバムを完成させたけど、あれは酷い作品だった。そしてそれに続くツアーに出た。その頃には非常に酷い状況にあるのが僕の目にははっきりしていた。誰一人として何も気に留める様子がなかった。僕には液晶プロジェクタを使うアイディアがあったんだけど、それには絵を描かないといけない。僕がこれらの計画を立てて、基本的にはショウの全部でこれを使うつもりだったんだけど、これに興味を示した人間は一人もいなかった。もう少し言えば、「少なければ少ないほど良い」みたいな感じだった。あのリハーサルの時の雰囲気は最悪だった。バンドに加わったばかりのLauri Porraはバンドで起こっていることを不思議に思っていた。SAXONから急いで帰ってきてこのツアーに参加したJorg MichaelはショウのほとんどでSAXONのシャツを着ていた。彼のこのツアーではほぼ常に傲慢極まる態度をとっていた。全員に対して酷く当たっていたんだ。でも僕とTimo Kotipeltoには特にそれが酷かった。また僕に対するTimo Kotipeltoの態度も控えめで他人行儀だったが、敵意を感じ取れるものだった。当然僕達はプロフェッショナルとして素晴らしいショウを演じたけれど、それもバンドが団結して情熱的にプレイしているのではなくて、どちらかというと職人がリハーサル通りに行うパフォーマンスのようなものだった。

Timo Kotipeltoは自分の曲や歌詞がStratoのアルバムに採用されないことをいつも非常に不快に思っていたようだった。彼は自分のやりたいようにやれるソロバンドを結成したのに、何が気に入らないのか全然理解できなかった。彼が書く曲や詞が好きではないことと、僕がStratoらしく完成する曲を書いている一方で、彼はKotipelto風の曲つまりKotipeltoのアルバムに入るべきものを書いているという点で大きく異なっていることを、彼に分かり易く説明する方法を学ぶのに何年もかかった。

人に向かって「君の音楽は嫌いだ」と言うのは簡単なことではない。君達も全ての音楽が好きなわけじゃないだろう。僕だってそうだし、Kotipeltoもそうだ。

僕は人に音楽の質の良し悪しについて講釈できる人間じゃないけど、自分が好きな音楽を言うことはできる。だから、Timo Kotipeltoの曲は単に僕の趣味に合わなかっただけなんだ。

彼がソロのキャリアにおいて素晴らしい曲も数多く書いていることは言っておかなければならない。彼もまた僕の曲に関して同じことを言うだろう。僕達はただ非常に異なっているというだけなんだから。彼は僕とは非常に異なるユーモアのセンスも持っている。

僕達は同じバンドにいながら友人であったことがなかったのは、Stratoにおいて最も不可解な部分かも知れない。12年間でTimo Kotipeltoの家に行ったのは5回くらいだ。バンド内ではJensが最も親しいメンバーで、最近ではLauri Porraもそうだ。彼は素晴らしい男だ。しかしメンバー間で真の友情というものが存在したことはなかった。みんな驚くかも知れないけど、本当のことなんだ。

例のツアーが続行され、Jorgのローディーが酔っ払って僕に「Jorgはこのツアーが終わったらバンドを抜けるぜ。Jorgはこのツアーをビジネスとしてやってるんだ。」と教えてくれた。あのツアーでシアトルに行ったとき、Jorgが僕に向かって言ったことを考慮すると彼の態度が最低の極みに達していたことが分かると思う。彼は僕に「このバンドはもう終わりだ」と言った。僕達はサンパウロで3度目のライブDVD撮影に挑戦したんだけど、僕達のプレイが酷かったからそれは使えなかった。あれは普通に「使えない」代物だった。120日のワールドツアーで数多くの観客を興奮の坩堝にたたき込んだんだけど、バンド全体の士気は「出勤」レベルそのものだった。僕はそうじゃなかったんだけどね。少なくともその時までは。でも全員バンドに無関心で、金のためだけにやっているように僕には感じられたんだ。

どうにかこうにかツアーをやり抜いて、Jorgもバンドに留まった。でもこれは今まで経験した中で最も異常なツアーだった。大成功だったけど、それでも何かを強制しているような気がしたんだ。楽しくなかった。寂かった。

次に頭の中にあったのは、Visionsの系譜を引く新鮮なトラディショナルなパワーメタルアルバムを作ることだった。これは僕達のファンに打ってつけで、正しい選択だと思ったんだ。これが例の思い出したくもない’RR’アルバムだったわけだ。作曲はスムーズに進み、それらは本当に良い曲で、メロディアスで古き良きStratoに非常に良く似ていた。当時はバンド内でのシチュエーションのせいで僕はいつもピリピリしていたし、レコーディングセッションも困難なものになるだろうと予測していた。

2006年の後半になんとか10曲入りのデモテープを完成させることができた。デモはあまり満足のいくものではなかったけど、レコード会社に聴かせるのを延期するだけの価値があるものだった。それからヘルシンキにあるSonic Pumpスタジオに2007年3月中の12日間の予約を入れた。これは経験した中で最も異常なセッションだった。JorgはいつもVisionsの頃のハングリーさを取り戻さなければと言っていたけど、当の本人がそれを持っているとは思えなかったね。誰もそれを持ってはいなかったんだけどね。このセッションは以前のレコーディングセッションとは全く違うものだった。全員曲のリハーサルなんか全くしてなかったから、何もかもが最低な出来だった。1週間ほどそのドラムトラックを色々といじってはみたけど、途中で断念してしまった。「こんなに酷い状況なのに、なんで俺はこのバンドを必死で延命させているんだ?」と思い始めたのはこの頃だった。僕達が”Elements 1”に注いだ時間、努力そして資金のことは今でも覚えている。単に過去を繰り返す以外にあのアルバムに追いつくのはもはや不可能だったんだ。Timo Kotipeltoがあのアルバムを大嫌いだったのは知っている。ここでも彼と僕の違いを再び見て取れるわけだが。もちろん彼には無理にあれを好きになる必要なんてないけど、僕には’Elements 1’はStratoの進化の頂点を象徴していると思うし、もしかしたらあの時にこのバンドを終わらせるべきだったのかも知れない。

昨年、つまり2007年は多くの点で僕のターニングポイントだった。気分は良くなったものの、Stratoに関してはその逆だった。何かにつけ 〜些細なことでさえ〜 ケンカが起こり、それが本当に堪らなかった。ケンカケンカ、またケンカ。僕はStratoショップに商品を補充するのに大変な労力を費やさなければならなかった。それはJorgとTimo Kotipeltoの担当だったんだけど、注文するにも商品がない状態なのに、商品がサイト上から削除されていないせいで客からのオーダーが止まらなかったからだ。サイトの安全を証明するSSL証明書は1年前に無効になっていたからこれを修正しようとしたんだけど、僕にはその権限が無かったから出来なかった。ショップでもっとも人気のある商品はどれも売り切れていたんだけど、Jorgは新しく作るのを拒否したんだ。何がどうなっているのか全く理解不能だったよ。それと同じ頃、ストラトで過ごした時間よりも僕のロックオペラ、”Saana”の作業のほうが楽しかった。”Saana”を作っているときにふとStratoに欠けているものが、情熱、創造性、楽しさだということに気が付いたんだ。この何年かとは違うものだった。”Saana”はこの歳でもまだまだ新しく学ぶものがありそうだという希望を与えてくれ、同時に全く新しい世界と何か新しいものの始まりも与えてくれた。さらに僕はこのアルバムには実にクールで新しいメタルチューンが含まれていることに気が付いた。。

2007年にはフェスに8回出たんだけど、あれはドイツのWackenのステージに立って、45000人のメタルファンを目の前にしたときだった。このバンドが終わったことを完全に理解したのは。それまでに何度も何度もプレイしてきたいつもの曲を演奏していると、「このバンドは魂を失ってしまった」と語りかけてくる感覚がこみ上げてきたことをはっきりと覚えている。周囲を見ると、自分が台本通りまたは機械仕掛けの芝居の一部と化していて、新鮮でエキサイティングなことなどもはや何も生じていないように感じた。バンドのサウンドは酷いものだったし、誰も心ここにあらずという感じで、ただの使い古されたいつもの曲だった。あの頃Jorgはフルタイムでアーティストのプロダクション会社に勤務していて、ツアーのマネージメントをしていた。Wackenでも仕事をしていたよ。文字通り彼はプロダクションのオフィスから仕事をしに来て、終わったら帰社するという感じだった。全員うわべでは礼儀正しく振舞ってはいたけどそこには友情はなく、その下には既に破綻してしまった人間関係が張り詰めていることしか感じられなかった。2007年の間に感じたのは、このバンドが存在している理由はただひとつ、「金」だということだった。こんなにも水面下で緊張している状態なのにも拘らず、JorgとTimo Kotipeltoがバンドに残っているのは九分九厘この「金」のためだろうと思った。Wackenのステージ上で酷い恐怖に直面しているうちに、僕自身も金のためにやっている人間になってしまったのだという現実を理解した。僕も金のためにこのバンドを生き長らえさせていたんだ。このバンドを終わらせる決心をしたのはその時だった。

なので、もう終わりにすると決めたのはこのショウの最中だった。それでも色々なことを考えていたんだけど、自分の将来のためにはこれが唯一のなすべき論理的な行為だと思った。Timo KotipeltoとJorgを解雇したくはなかった。というのも僕と同じくらい彼らはずっとStratoの一部であり続けたわけだし、解雇はファンにとってもフェアではないと考えたからだ。そして、既に息を引き取ったものを横にして安らかに眠らせるのが最良の選択だと判断したんだ。2008年の10月にメンバーにはEメールで僕の決断を知らせ、理由を詳しく説明した。彼らが僕の意見を理解し、事実を受け入れてくれることを願いつつ。JensとLauriからしか返事は届かなかったけど。Timo KotipeltoとJorgはそのメールに対する返事すらくれなかった。Jensは僕の決めたことを理解してくれたが、Lauriには理解できなかったようだ。だが、それも分かる話だ。世界をツアーして回るような、成功したロックバンドの一員になる味を知ったのだから。それをあきらめるのは簡単なことじゃない。ただ彼はこのストーリーを僕の立場から見ることができなかったんだ。Timo KotipeltoとJorgが何も言わなかったことは全てを物語っている。僕はStratovariusサーガを現在の品格を保ったまま終焉させたいと考えて、2008年の2月にバンド全員に手紙を書き、「Stratovariusらしくファンに別れを告げよう、そしてもう1度ツアーをやろう」と提案した。ここで詳しくは書かないが、今回はTimo KotipeltoとJorgから返事を受け取った。彼らの前途多幸を祈り、「敵意のこもった返事のおかげで、このバンドでもうこれ以上のツアーが不可能なことは分かった」と返事を書いた。これで「終了」だ。自分の決断には満足しているが、法的な理由によりそれをこんなに長い間発表できなかったことは不満だが。

その後「こんなに素晴らしい曲が手元にあるんだから、どうにかしてこれらに日の目を見せたい」と考えた。そこで数人の友人に連絡して、1年前にStratoの’RR’のセッションが行われたのと同じ場所でベーシックトラックを作成した。本当に流れるような作業だったよ。そこにはハッピーな雰囲気があり、力が漲っていた。曲のサウンドは最高だった。友人のMichael KiskeとTobias Sammetがこのアルバムで歌うことを引き受けてくれた。僕はこの新しいバンドを、以前はStratovariusの遺産を引き継ぐ予定だった”Revolution Renaissance”と名づけた。このファーストアルバムでは単に前述の曲を早く発表したいと思っただけだったから、正規メンバーを探す時間がなかったんだ。今は時間があるから、君達も興味があればメールで連絡してくれ!

このアルバムは2008年6月6日にFrontier Recordsからリリースされる。

今は興奮していて、幸せなんだ・・・何年かぶりにね。新しいバンド、プロジェクト、ソングライティングによるこのアルバムがセールスでどういう結果を生むのかが待ち遠しくて仕方がない。僕はとてもクリエイティブな時間を過ごしている。自分のプロダクション会社を持ち、様々なプロジェクトを進めていて、メタルだけではなく基本的には何にでも興味があるんだ。

まず何よりもはじめに、Jorg、Timo Kotipelto、Jens、Jari、Lauri、Tuomo、AnttiそしてJyrkiに22年間ありがとうと言いたい。本当に大変な道のりだったけど、彼らが人生においてどのような選択をしようともJens、Timo Kotipelto、JorgそしてLauriの前途に多幸があることを祈っている。

最後にこれは最も重要なことだが、君達Stratovariusのファンの暖かい支援と、僕に素晴らしい人生を与えてくれたことについてに感謝したい。またどこかで何らかの形で出会うことになるだろう。君達は僕の心から一瞬も消えることはないんだ。


With Love, Timo


声明原文
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